杉麻衣美
私は、フォークダンスを研究しているが、今回、フォークダンスを日本で再びメジャー化するために、ユネスコ会員である亜甲先生にお会いすることになった。
そして、その出会いがきっかけとなって、急遽アテネにて開催される世界国際ダンス会議に参加することになった。登録日から最後の昼食パーティーまで、とにかくたくさんの人と知り合った。
ワークショップや(夜間行われる)パフォーマンスはもちろん、講義形式のレクチャールームやレポートルームにて、様々なジャンルの踊りが研究される。
パンフレットを見ただけで、世界の広さが感じられる。言葉だけで交流しようとしていたら、おそらく1日かかる相手とでも、30分のワークショップに参加するだけで手を取り合って微笑みあえる。また、異文化を肌で体験出来る貴重な機会でもあった。各国からメンバーが来ている中で、欧米の人は講師に向かって喜びも不満も露わにする。良い意味で真似したいところだ。
今回のCIDは、海に面したオリンピック会場にて行われた。会場の上にある、オープンカフェで夕日を見ながら夕食をとったり、港にあふれている野良犬が近寄ってきたり、のどかなものだ。芸術を好む人たちにとっては、最高のロケーションだった。
夜7時からのパフォーマンスでも、各国の民族舞踊からバレエや自由な創作ダンスまで、何でもありだった。ワークショップでもパフォーマンスでも、ペリーダンスの多さに驚く。ペリーダンスは世界中で爆発的に人気を集めているのだろうか。世界の人が、音楽や踊りを通して、中東の文化を理解しようとすることは、良い傾向ではないだろうか。その他にはイタリアやギリシャ、ジャマイカ、カナダの民族舞踊も人気だった。ただ、何の踊りでも好き嫌いせず、積極的に参加することが重要だった。この会議では、体の底から沸いてくる、踊りたいという気持ちがパスポートのようなものなのだ。共通した気持ちがあるからこそ、見知らぬ異国の人ともすぐに仲良くなれる。特にギリシャの踊りのワークショップでは、スタッフがどんどん集まってくるので、活気がある。「ギリシャの踊りを見よ」とばかりに、得意気な様子で楽しい。
この会議にて、私が思い出したことが2つある。いろいろなジャンルの踊りを踊るので、もちろん各自にとって初めて踊る踊りが多い。しかし、皆本当に楽しそうに踊る。自然に出てくる笑みだ。私は、普段の練習では細部のことにとらわれすぎて、目先の技術に追われて、この気持ちを忘れていたように思う。また、まったく逆に、バレエやその他身体能力を使う踊りのワークショップを受けて、体を鍛える、踊るために身体能力を高めることも、気持ちと同様に非常に重要だとも考えた。厳しい鍛錬と、心から楽しむ気持ちが、踊りを上達させるはずだ。
私をアテネに導いて下さった、亜甲先生のワークショップや舞台は、ひいき目を抜いても抜きん出ていた。亜甲先生の、女の一生を描いた(と私はとったのだが…)舞台も本当に素晴らしかったが、初めて見たオルフェウスの舞台にも感激した。ノリの良い会場が、静まり返ってオルフェウスの世界に引き込まれていた。たった10分間の舞台なのに、最後にオルフェウスが妻に寄り添うシーンでは、自然と涙が出た。そしてしばらく涙が止まらなかった。亜甲先生やダンサーたちは、天才だと思った。今でも、彼らから伝わってきた情熱を思い浮かべるだけで、胸の中が熱くなる。これを見ただけでも、アテネに来た甲斐があったと思う程である。
今後、CIDにもっと人が集まり、亜甲チームのようなより質の高い舞台が増えると良いと思う。もちろん、参加する人はプロでもアマでも、それこそ踊りをしていない人でも良い。最終日、最後の舞台ではCIDのスタッフが私服で飛び入りグリークダンスを踊っていて、会場が盛り上がった。そういう意味でも、ダンスの楽しさを伝えるイベントでありつつ、より質の高い会議になってはしいと思った。
今回、踊りを通して国際交流が出来るという、本当に素晴らしい機会を頂き、自分は幸せ者だと思う。踊りに対する心構えが変わっただけでなく、エーゲ海という最高のロケーションでCIDに参加出来たことで、今は生き方までもが変わった思いである。考えるところも多かった。知り合った人の中では、ダンスが禁止されている国の人もいた。踊れることはこんなに幸せなことなのに、中には踊ることを断念しなければならない人たちもいる。私は、そのことを忘れてはいけないし、いつか彼女も踊れるようになると良いと思う。そんな時代が来て欲しい。(ちなみに、車椅子で踊っていた人たちが絶賛されていた。身体が不自由な人たちにも、踊る機会が増えると良い。)
CIDは、平和実現への架け橋となることは間違いない。国家の政治家たちが、全員CIDに参加して手を取り合って他国の踊りを踊ってみて欲しい。相手の文化を知り尊重することで、戦争はなくなるはずだ。現にCIDでは、目下戦闘進行中の対立国の人たちが、輪になって踊っているのだから。
そこには、敵意も差別もない。
この、何とも言えない気持ちの高ぶりや、踊りへの情熱を、「素晴らしい」とか「良かった」という言葉にしか表現出来ないことが残念だ。今後の練習では、ステップー個一個も、踊れることの喜びと幸せに感謝しながら踏みしめたい。
Scene(セーヌ)2007 冬 第64号