瀬河寛一
北京、紫禁城入口でみんなと
前列左側、瀬河寛一、後列右から3人目ジジ・カチュレアニュ
後列右から5人目リュクサンドラ・ラコヴィツァ
新年明けましておめでとうございます。
みなさんお元気ですか? 僕はあいかわらず人生の旅を続けています。9月、ニューヨークでの公演を終えParisに帰国後、長い間留守にしていたので Parisでどんなスペクタクルがやっているのか目を通していると、僕をフランスへ招いてくれた本人であるジジ・カチュレアニュと、僕を育ててくれ、そしてまだ今でも僕の師であるリュクサンドラ・ラコヴィツァのスペクタクルが目に留まりました。長いこと彼らにも会ってなく、また2人の踊っている姿が見たかったので劇に足を運びました。スペクタクル後あいさつをしようと2人を待っていると、会ったとたんにリュクサンドラから「カンイチちょっとこっちへこい話したいことがある」と呼ばれました。話の内容はというと11月と12月にツアーが有るので一緒にこれないかとのことでした。しかもそのツアーというのは、ブラジルをはじめチリ、ウルグアイなどのラテンアメリカの国で7公演、中国、タイなどのアジアで7公演という大きなプロジェクトでした。
リュクサンドラとは長いつきあいなので彼女がこの様なとっぴょうしのない事を突然言ってくることには慣れてはいましたが、さすがに今回はまた驚かされてしまいました。しかも出来るか出来ないか今すぐに決めろと言います。うれしいのと半分、今まで働いていた振付家のカリッドという人との仕事が一つ入っていたので、こまってしまいました。いくら仕事といっても人間同士の信頼関係で成り立っているので、大きな仕事が来たからといって簡単にことわるワケにはいきません。すぐ次の日にカリッドに電話をして事情を話したところ、僕の方の仕事はまだ完全に決まっていないし、それはカンイチにとって大きなチャンスだから行きなさいと言ってくれました。
その様な経緯でジジにすぐ電話をして話は決まりましたが、僕がダメだったら話はすぐ他の人の方へいっていました。偶然彼らのスペクタクルに足を運びこんなことになってしまうなんて、本当に不思議なものです。
上海にて 最終日、みんなと楽屋で
右から2番目が瀬河寛一
さて話は続きます。その後1週間で3作品を覚えさせられホッとしているとジジからふるえた声で電話があり、いきなりツアーが中止になってしまったとのことでした。話が大きかっただけに僕もあぜんとなり数日を過ごしましたが、最終的にアジアツアーは実行するとのことでした。アジアツアーは12月だったので、空いてしまった時間を利用して友達と作品創りを始めました。昔からお互いに一緒になにかやろうと言っていてなかなか時間がなかったので良い機会になりました。
さて12月、ツアー出発直前、まだまだサプライズは続きます。7公演あったうちの3公演が取り消しという話が持ち上がり、最終の最終には全4公演ということになってしまいました。そしてタイのバンコクで2公演、中国の上海で2公演の為にフランスから飛びたちました。色々あったけれど今回のジジとの仕事で嬉しかったのは、なによりも前回働いたときとの自分自身の違いと成長がはっきりとわかったことでした。
前回ジジと仕事をしたのは約5年も前のことであり、今回でさえもかなり大変だったのに、あの頃言葉もわからないまま本当に良くやっていたとつくづく思ったし、その間に勉強してきたことが自信となり、今ふたたび彼らと働けていることをすごく幸せに感じました。
そして肝心なスペクタクルですが、はじめの2公演はいくつかのアクシデントもありましたが、なんとかみんなで精一杯踊りきり良い結果が出せたことと思います。そしてまた少しでしたがタイ、中国というまったく異なった2つの国の文化にふれられたことは、これからの一生の宝物となっていくことと思います。
さて明日から2001年の幕開けです。これからも今まで以上に更に力を入れて頑張ってゆきたいと思います。
それではみなさんにとっても更に良い年でありますように。
2000年12月31日(日) Paris にて
セーヌ 2001年 冬 第40号掲載