瀬河華織
指導した生徒達と一緒に
4月12日、私はどきどきしながら朝を迎えました。今まで外国へ行く時はいつも母が一緒でしたので、安心して飛行機に乗り、気がつくと外国に着いたという感じでしたが、今回は自分一人でフランスまで行かなければならなかったので、ものすごく緊張しました。一人で旅をする事はいつでも神経を張っていなければならないし、全て自分に責任があり又この様な経験が自分を強くしていくんだと思いました。
今回は上の兄の寛一と共に、フランスの振付家ホネ・ベリーニの公演に出演するという話が決まり、南仏のその振付家の家に3ヶ月間滞在する事になりました。
何とか無事にフランスの空港に着き、出迎えてくれた兄の顔を見た時は、「ホッ」としました。
ホネさんの家は南仏のトゥーロンから少し離れた、コロブリエという小さな村にあり、緑の山々に囲まれた大自然のある素晴らしい所で、別世界に来た様な感じがしました。
着いて2日目から公演の振り付けが始まりました。ホネさんの創作法は、振り付けをされるのでは無く、即興で踊らせ、私の持っている個性を生かしながら振り付けをまとめ仕上げていくという方法でした。「即興で踊りなさい」と言われ、私は今の気持ち、嬉しい心を感じるがままに身体で表しました。それに対してホネさんは、グランバットマンやアラベスクなどのテクニックはどんどん取り除いていくので、最初は戸惑いましたが、もともと私が日本で踊っていた母の踊りは心の表現の踊りでしたから、素直に受け入れる事が出来ました。
特にヨーロッパの振付家はその日、その日の感覚で振り付けをしていくので、本番まで毎日振り付けを変えられていたので大変でした。でも無事に本番を終える事が出来た時は感動でした。お客様は素直に踊りが終わった後に、ものすごい拍手とアンコールの掛け声を下さり、思いがけずもう一度踊る事になりました。
私が着替えてロビーに出た時はたくさんのお客様が、笑顔で「素晴らしかった」と迎えて下さいました。お客様の中には、「今日、公演を見に来て本当によかったあー」と何度も叫ぶ人もいました。日本人よりも、外国人の方が、大袈裟に自分の気持ちを表現するので、私はびっくりしました。この本番の日は感動で胸がいっぱいでした。
この公演の他にホネさんの学校の発表会が2回あり、本番1週間前に突然「華織出ないか?」と言われ、私は後1週間しかなかったので、皆に迷惑をかけないかなど心配しましたが、チャンスは逃してはいけないと思い出る事にしました。
発表会では、色々な種類の踊りをしました。「ポータブル」「ムエット」「サンバ」、そして子供達と踊る「マネカン」、私は4作品に出ました。「ポータブル」と「サンバ」にアンコールを頂き、「ポータブル」は、とても音楽のテンポや動きが速い踊りで大変ハードでしたが、アンコールを頂き2回目に踊る時は、1回目に踊った時の自分とは全く違い、踊っていて身体の中から勝手にリズムにのり動き出しているのがわかりました。最後の方は死にそうでした。客席は、手拍子と掛け声で盛り上がり、私はお客様と一体になれたのを感じました。
舞台は、最高に楽しく「生きているんだ」という事が、どんなに素晴らしい事か踊っていて実感しました。今までには無い、日本の舞台では味わえなかった本当の踊りの楽しさを十分に味わう事が出来ました。
この発表会までの間、ホネさんの生徒達の指導を任せられていたので、特に子供達は発表会が終わっても、皆私の手から離れず、すっかり懐いてくれていたので別れる時などは、何とも言えない別れの辛さを感じました。
南仏での舞台は一瞬にして終わってしまいました。言葉や字では伝えきれない何かを私は感じました。この時の喜び、興奮、一瞬、舞台、雰囲気、絶対に忘れません。
フランス人の食事の時間は本当に長く、3時閏から4時間くらい、特に夕食はかかります。驚くほど皆よくお話をしたり、夜は色々なテンポやムードのある音楽を大きくかけて夜中の2時過ぎまで踊ったりと、毎日フランスの生活についていくのが大変で、私は文化の違いに驚きました。
本当にフランス人の人達は人生を大切にしているんだなあと、そして今生きている事に喜びを感じて、人と人とがお互いに喜び合い素直に表現を出していて、素晴らしいなと思いました。
それに比べ日本の人達は、ほとんどが表現が無く、生きる事に害ぴを感じている人達が少ないと思いました。これは、久しぶりに日本に帰って来た時に、はっきりとその差がわかりました。
私はフランス語を勉強していたけれども、兄の様に、スラスラと話せる所まではいっていなかったので、ちょっと言葉の面で辛い思いをしました。でも私は3ヶ月間、ずっと笑顔で皆と心で接し合い、日々を重ねるごとに一つになれた様な感じがしました。それだけに、別れる時はとても辛く、涙が思わずあふれ出してしまいました。
最後に私が「星」を見て思った事、星が私に教えてくれた事を、皆さんにお話ししたいと思います。
兄と2人で3回も流れ星を見る事が出来たくらいに、南仏の空気は本当に澄みきっていて、夜になると星がものすごく多く、きれいに輝いていて、近くに見えるのです。そして踊りの練習の帰り、家に着くまで車の中から星を見つめながら思いました。
星に色々な輝きがある様に、人間も一人一人星の様に違う輝きを持って、生まれるべくして生まれて来たんだという事。そして出会うべき人達と出会いがあり、別れもあるという事など、色々な事を思っていたら、車の窓に私の顔が光のせいか、パッと反射して写ったのです。その顔はまるで私の顔ではなく、仮面の様に思えました。まるで自分、瀬河華織を外から見ている様な感じがしました。その時、そうか私にはこういう顔、身体、仮面を神様は下さったんだと、つまり今、色々な事を思ったり感じたりしているこの私は、目では見えないんだと、それは形ではないのです。言葉で何と言えば良いのでしょう……。「魂」という言葉があるけれども、これなのかなあ。そう、星の様なものが、心にあるのか何処にあるのかわからないけれど、これが人間にとって何よりも大切なものだと、はっきり感じ取りました。
ですから、踊りを踊るにも、テクニックやポーズよりもまず先に、色々な事を感じる事の方が大切であり、優先するべきだと思います。
この様に星を見て強く感じたのは初めてで、母から、「いつも踊りは心で踊りなさい」と教えられており、自分ではわかっていたつもりでしたけれども、今回本当の心というものがいかに大切かという事がはっきりとわかりました。
南仏での3ヶ月間は、私にとって一生忘れられない人生の中で貴重な経験でした。
母や兄、応援して下さった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
私は踊りを踊っていく使命があります。
踊りは美しく、心がなければなりません。私はより経験を積み重ね、母の踊りの様な感動のある踊りを世界で踊って行きたいと思います。
セーヌ 2000年 秋 第39号掲載