芸術は国境を越える
2000年のスタート、フランスにて

亜甲絵里香

2000年のスタートに、1月12日フランスのTHIONVlLLE(ナンシーの北200キロにある町)のTeatre Municipalで。14日はナンシーの隣肌のLUNEVlLLEのTeatre Municipalで。そして 15日はアール・ヌーボーで名高い町NANCYのSall Poirelで元アルビン・エイリー舞踊団のダンサーで現在はアルビン・エイリー舞踊団の振付とダンススクールの指導者でもあるMax Luneの公演が開催されました。

この公演にはアルビン・エイリー・アメリカン・ダンス・シアターのダンサーMatthew Rushing、Glenn Sims、Richard Witter、Linda Caceres、アルビン・エイリーのカンパニーを2年前に退団し現在はフリーで活躍している Elizabelh Roxas、その他アメリカから女作ダンサー 1 人。フランスからは女性2人と男性 1 人。イタリアから女性が2人ゲストで出演。それに現在エイリーII(セカンド・カンパニー)のアシスタント・ダンサーを勉めている次男の瀬河寛司が出演致しました。

また、本番の3日前に男性ダンサーが1人必要となり、現在フランスでダンサーとして活動している長男の寛一が出演の依頼を受け、思いがけず兄弟でアルビン・エイリーの公演に出演する事になりました。

私は3日間の公演の内、14日と15日の2日間を観たのですが、プログラムは3部に分かれて5作品あり、上演時間は1時間30分でした。

プログラムのスタートは「American Rhapsody」で、アルビンのダンサー7人と寛司の踊りで始まり、4組のデュエットでいろいろな男女の愛を描き、どれも個性的でした。2つ目の作品は 「Legenda」で、イタリアから参加した女性ダンサーSimona Toscoのソロですが、彼女は昨年Max Lunaの振付でイタリアのコンクールで1位を受賞しており、今回呼ばれて参加していたのですが、彼女のダンスはとても情熱的でした。

2部に入り「Lattice」で、Matthew、Glenn、Richard、そしてLindaの4人のダンスがありました。この作品は男性同士のダンスや、男女のデュエットなどが美しく描かれ、1人1人のダンサーの純粋さが肉体に溢れ、観ている私の心までが神秘になりました。

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シアターの前で
亜甲絵里香(中央)と瀬河寛一(右)

次の作品「Cold Song」はElizabethのソロで、彼女は人間の悲しみ、苦しみを表現し、心理的な深みを感じさせました。

3部に入り最後の作品の「Thing Ng Lupa」は出演者全員の13人で踊るもので、この作品に寛一が出演しました。

音楽は生演奏で、楽器は竹、太鼓、マリンバ、なべ、小さなチューブなどが使われ、奏者はアメリカ、フランス、イタリア、フィリピン、アフリカから参加。歌手はブロードウェイでミュージカル「ミス・サイゴン」を歌ったLanie Sumalinogという素晴らしい顔ぶれです。

音楽のリーダーのPoula Potockiが、フィリピンに伝わる伝統的なダンスからインスピレーションを受け、生命の誕生をイメージ化し、ミュージシャンはそれぞれのキャラクターにより役がついており狩人や大地を這ってくる大木のエネルギーをイメージしたそうです。

リハーサルの時は、ダンサーの動きが1人1人違うので創作したPoulaかリードし、それぞれの奏者は自分の信念を持ち演奏したということをPoulaから聞きました。

作品は最初暗転の中13人がスタンバイし、原始的な音と共にゆっくり動き出します。生命の誕生をイメージして生まれてきた1人1人が出会い、交流していきます。

だんだんと音が激しくなり、生命エネルギーに満ちあふれた踊りになっていき、途中から男女のカップルの踊りが次から次へと繰り返されていき、音楽と照明とダンサー達のエネルギーがぶつかり合い、いつの間にか一体感を感じるようになります。

観客もその中に引き込まれ、興奮状態になり全てが一体となって素晴らしいダンスでした。私は今回リハーサルも2日間見せていただきましたが、ダンスを創作していく上でのいろいろな大変さを客観的に見ることもでき、創作者の1人として大変勉強になりました。

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ホテルのレストランで、
左から Richard Witter、
亜甲絵里香、Matthew Rushing

そして今回何よりも感動したことは、この企画をされたディレクターのAlain Roemerと振付家、13人のダンサー達、演奏家と照明家、その他の協力者を含めて皆が国籍など関係なく、1つの目的に向かっていった素晴らしい姿と情熱です。

私が共に出来たのはたった2日間でしたのに、いつの間にか私も皆と心が1つになり、ディレクターや振付家、ダンサー達とお互いに抱き合い、感動を共に出来ました。

寛司は、公演終了の翌16日にはニューヨークへ戻り、私と寛一は寛司を空港で見送った後、パリへ移動しました。

同じ列車には、フランス人ダンサーのAnsat Vincenyと太鼓を叩いてくれた双子のLosseniとLassine達と一緒になり、Losseniが寛司の踊る姿が目に浮かび、「寛司に会いたい。寂しいよ」と言いながら寛司がデュエットで踊った所の音を、ズンズン タカタン ズンズン タカタンと身体でリズムを取りながら踊るのです。

寛一と寛司がたくさんの人達に愛されている姿を、今回この目で見て実感し感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、芸術は国境を越えて1つなのだということを、改めて痛感しました。

2000年1月18日 パリのホテルで

セーヌ 2000年 冬 第36号掲載

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