亜甲絵里香とアルキス・ラフティー(第2回)
~ダンスにおけるドラマとスペクタクルの違い~

インタビュアー・構成飯島岱

グリーク・ダンスを追及して 1

亜甲: ドラ・ストラトゥ・シアターでグリーク・ダンスを長年追及されていて、とてもハードな仕事だと思うのですが、きっかけは何ですか?

ラフティー: 私はこの仕事を楽しんでやっているのですが、まず、ダンスはムーブメントであるということ。広義にダンスを考えても、やはりダンスはムーブメントにかかっている、このように私はダンスを捉えています。

―― それを前提にしてグリーク・ダンスを研究されていらっしゃるのですか? それにしても古代ギリシャまで遡るのでしょう?

ラフティー: その通りです。昔から興味はありましたが、大学を卒業した後、本格的にグリーク・ダンスの勉強を始めました。村々の老人たち、今日ここにきて踊っている、又、いたる所で踊っている村人たちから学ぶことから始まったのです。

先生によってはつい原形を変化させてしまうことがあります。少なくとも60年、70年前に遡って、出来るだけ真体的なムーブメントの原形をこの目で確認したかった。それ以前の研究は資料、例えば、本、写真、絵画、リトグラフ、イラストから始め、印刷技術が発明される前のものはパピルスや遺跡、発掘された大理石に彫られたダンサーのレリーフ、壁画等を丹念に調べることによって、トルコ占領時代、ローマ、ビザンチン時代、古代ギリシャ時代へと遡っていったのです。私はグリーク・ダンスを歴史的に洩れなくカバーしたいと思っていますが。

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―― ご経歴を拝見したのですが。

ラフティー: 私は4大学を卒業、その後、4大学で教え始め、さらに14大学で教鞭を取るようになったのです。

―― ラフティーさんはパリ大学も卒業されていますよね。
ご専攻は何だったのです?

ラフティー: ギリシヤでは最初、工学を専攻し、それからパリ第8大学では政治社会学と、マネージメントを学びました。従って、4つの学位を得たのですが、大学で教えることを数年前に全てやめ、いまは研究のみに集中できるようになりました。

亜甲: こんな素晴らしい方に出会い、光栄に思います。私自身もっと勉強して、人々に感動を与える作品を創造したいと思います。そういった意味でラフテイーさんとの出会い、そして支援を受けることはとても幸運だと思えるのです。

―― 夏は毎日この野外劇場で公演がなされ、特に目をひくのは連日、ギリシャ中から3~4団体が出演していることです。今日出演したなかには千キロも離れた村から来たグループもあったとのことですが。

ラフティー: その通りです。出演し、終わった後、また千キロを戻って行きました。

―― ギリシャ全体でどれ位グリーク・ダンスグルーブがあるのですか?

ラフティー:ギリシャの人口は約1千万人、約1万弱の村があります。そして約4千のダンスグループがあります。しかし、この会議に招いているのは所謂、独立したダンスグループではありません。村人たちを招いているのです。彼らは先生、振付家からグリーク・ダンスを学んでいるのではありません。日常の生活の中で親が子へ、祖父母が子供たちに伝えてきたグリーク・ダンスを踊っているのです。この会議はそこに特色があると言えます。唯一亜甲絵里香グループだけがグループとして招待されているのです。

亜甲: ですからグリーク・ダンスだけを上演し続けているこの劇場に招待されたのは何故か。しかも、私の踊りも観ずに招待を決めて頂いたのは何故なのか。何を私に期待されているのか是非お聞きしたいのですが。

―― さて、私も非常に興味があります。この質問への答は次回のためにおきましょう。

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アルキス・ラフティー(Dr.Alkis Raftis)

1942年アテネ生まれ。ギリシヤの大学を卒業後、パリ第8大学(バンサーヌ)、エコール・プラティク(EHESS)で社会学を学び、フランスで民族ダンスセミナーを受講する傍ら、Lyceum of Greek Women、the Dora Stratou、the Nelly Dimoglou groupsでダンスを専攻する。

帰国後、ギリシャの村々を対象に、民族史学的研究を成し遂げる。多くの論文を発表する。ダンス・インサイクロクロピデイア(N.Y.)に『グリース』入門を書き、『Dance in Poetry』、『The World of Greek Dance』他、多数の著作がある。
「伝承ダンスセン夕一」創立メンバーでもあり、現在、国際民族芸術機構代表。

飯島岱(司会)

1944年満州生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒業。村井志摩子(演出)、毛利三弥(演劇学)に師事。アフリカ(ケ ニア、タンザニア、ウガンダ、ナイジェリア等英語圏を中心に)、南・北ヨーロッパ、北アメリカを延べ7年にわたり放 浪。「風屋敷」解散後、「劇団第七病棟」創立に参加(途中病気にて退団)

世界合唱連合顧問、いくつかの国際交流組織日本地区代表、某大学客員教授(すぐに馘になる)を経て、現在、(株)テ ス・カルチヤーセンタ一代表、世界バレエ&モダンダンスコンクール国際担当ディレクター、日本演劇学会会員、フリー ランス演出家。長野伊那谷在。

演出歴『令嬢ジュリー』、『マッチ売りの少女』、『いとしいとしの部ぶ一たれ乞食』、『狐とぶどう』、『控え室』、『朝に死す』、『動物園物語』、『冬来たりなば春遠からじ』、『たそがれに夢をみると』、『春への序奏』他

セーヌ 1999年 秋 第35号掲載

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