亜甲絵里香とアルキス・ラフティー(第1回)
~ダンスにおけるドラマとスペクタクルの違い~

インタビュアー・構成飯島岱

本年も30度を越す炎天下のアテネに10カ国、200人余りの研究家、ダンサー、振付家が参加し、『第13回国際ダンス会議』が、「ダンス芸術の科学」をメイン・テーマにドラストゥ劇場で7月7日~11日まで開催された。参加者の多くは各国、地域の「民俗ダンス」研究者であり、日中、5時間にわたるセッションでは、特に「グリーク・ダンス」に関わる研究発表が目立った。

勿論、バレエ、モダンダンス関係者による発表も行われたが、ダンスの源流を「民俗ダンス」に置き、その発展過程でバレエ、モダンダンスに分岐していく様を比較文化論的に捉え、"本家還り"の必要性を説いていた。従ってテーマである「ダンス芸術の科学」が「民俗ダンス芸術の科学」に絞り込んだ議論になったと言える。

そのことは、1987年以来毎年議長としてこの会議をリードしてきたアルキス・ラフティー氏が、もの静かな語り口と優しい眼差しの根底に、「グリーク・ダンス」を通して世界中の「フォークローレ」の『在り方』に今も厳しい視点を持ち続けている姿勢を主席者が自らの研究姿勢に共鳴させた結果として必然だったのかも知れない。

氏は「グリーク・ダンス」をギリシャ国内各地に止まらず、各国に移住したギリシャ人社会を丹念に取材し、グリーク・ダンスに新しく振付することを否定、原型を維持し、次代に伝播することを頑強にこだわる。

ならば、何故氏は日本のモダンダンサー、亜甲絵里香にこだわるのか。何故1997年以来3年連続この会議に招待し続けているのか。何故、『原爆の図』(1997年)、『山椒太夫』(1998年)、『安達ヶ原』(1999年)と亜甲絵里香はこの会議に作品を発表し続けているのか。

この2人の関わりを亜甲の作品を介してひもといていくとアルキス・ラフティー氏の目指す世界、ダンスアート感が見えてくるに違いない。

『原爆の図』から『安達ヶ原』まで
~亜甲絵里香3年の軌跡に視えるもの~

―― ラフティーさんには、会議がいよいよ最終局面に入ってますますお忙しい中、また、亜甲さんは公演が終ったばかりでお波れのところをこの対談のために時間を割いて頂き、誠にありがとうございます。
この対談は第1回目として、まず舞踊作家、亜甲さんと、今観終ったばかりの作品『安達ヶ原』を材料にして対談して頂き、何故ラフティーさんが亜甲さんに関心を持ち続けていらっしゃるのか、何を亜甲さんに期待されているのかを明らかにすることでラフティーさんのダンス感も現れてくることを期待しています。まず、亜甲さんから。

亜甲: 無事に今回の舞台が終了した今、まず、いつも応援して頂いていることに感謝したいと思います。今回は日本の古典、能から取材した、『安達ヶ原』をダンスにした訳ですが如何でしたか?

ラフティー: とても感動しました。今回のような作品を私たちは余り観る機会がありません。今回の作品にはエキゾチズムに止まらず、そこに何かフィーリングを感じました。それがどの様なフィーリングか今は言えないけれども、強いものでした。

亜甲: あえて言えばどんなフィーリングですか?

ラフティー: 古代ギリシャシアターにはドラマティック・エレメントがあり、特に『悲劇エレメント』が重要でした。これまで拝見した彼女の作品『原爆の図』、『山椒太夫』には当然演劇的要素があると思いました。

ヨーロッパにも多くの演劇的要素を持つダンスがあります。しかし、最初に観た時から彼女が演劇的要素に悲劇的要素を内含させ、ダンスとして具象化、描写出来る数少ないダンサーであると直感しておりました。

亜甲: これまで私は『原爆の図』でも、日本の民話を題材にした作品、『藪の中』でも、『山椒太夫』でも私の演じる主人公は常に被害者でありました。今回の『安達ヶ原』では、初めて加害者の役を演じたわけです。

アルキスさんは私に日本を舞台にギリシャ悲劇をドラマツルギーとしたダンスを創りなさいと、常に励まして下さいました。本当は今回発表したかったのですが、創作するのに時間がなく、準備が出来なかったので色々考えた結果、私なりに日本の古典から能作品を主題材として選びました。"能"がギリシャ悲劇に通じるのではないかと考えたからです。

そして、「鬼女」伝説にあるような、鬼女が僧侶に祈り殺される所で幕となるのではなく、その鬼女が鬼母観音として再生するという演出意図で振付したのです。(観客が亜甲さんに舞台の感動を伝えるために度々中断する。素直に対応する亜甲さん)

ラフティー: 勿論、今回の作品には満足しています。彼女のこれまでの2作品には共通して「女性の立場に力点を置いた-女性解放論者的といっていい-」振付、描写の中に悲劇性があったけれども、今回は特に面を使用しています。

古代ギリシャ悲劇では仮面の役割が重要な位置を占めています。仮面を着けることで、より『悲劇性』が浮き彫りにされているのです。今回の彼女の作品ではドラマツルギーの上で無理なく鬼面を使用しています。しかも、効果的な登場が観客に衝撃を与え、私は彼女が面を使用したことに強い興味を抱きました。そのことによって、振付意図がより鮮明に現れていたと思います。

先程言いました、私の感じた強いフィーリングとはこのことと無縁では無く、面を着けた主人公の悲劇を感じたこと、しかも、対立する僧侶たちと具体的には静止状態が数分間あったにも関わらず、観客には激しい動的な対立構造がありありと見えていた事に衝撃を受けたことに起因すると思います。まだ、整理する必要はありますが。(この晩のグリーク・ダンス公演が終了し、観客が次々と挨拶しに来、その都度丁寧に応対するラフティーさん)

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グリークダンス

―― あなたが期待されている彼女の方向性としては如何ですか?

ラフティー: 着実に彼女自身が前進していることに私は満足しています。間違いなく、着実に第1歩を踏み出されたと確信します。しかも成功しています。『原爆の図』、『山椒太夫』と毎回成果も上げ、しかも正しい方向に向かっていると思います。この歩みこそが重要なのです。

13年を数えるこの『国際ダンス会議』のダンス公演としては亜甲さんのグループしか招待していません。繰り返しますが、最初に私が彼女の公演を観て直感した、『演劇的要素に悲劇的要素を内含させ、ダンスとして具象化、描写出来る数少ないダンサーである』の確信は深まりました。

私が彼女に期待する-「ギリシャ悲劇を彼女のダンスに創出すること」-の為には長い道程を必要とするでしょう。しかし、自信を持って歩んで頂きたいのです。そして再びこの舞台で発表していただきたい。

―― しかし、お金がかかりますね。亜甲さん、これまでは舞台制作費は勿論、アテネに来られる経費も自弁なのでしょうか?

亜甲: 残念ながら全て自弁です。この劇場だけでなく、ギリシャ以外の都市でも、また、イスラエルや他の国でも公演して欲しいと、言われるのですが資金の問題で実現していません。

―― ラフティーさん、今後彼女に資金援助は可能なのですか?

ラフティー:私たちの組織は非営利団体で会議参加者は全て自費参加となっていますので、残念ながら出演料を含め、亜甲グループには何の援助も出来ないのです。しかし、日本大使館を通じて、積極的に日本政府に亜甲グループへの援助を求めたいと思っています。日本大使館の関係者によると国際交流基金が窓口のようですから。私としては亜甲さんには少なくとも1~2年ギリシャに滞在してギリシャ悲劇を学び、調査研究もして欲しいと思っているのですが。

亜甲: 色々ありがとうございます。必ず、私なりのギリシャ悲劇をダンスとして発表したいと思います。

―― それでは、今回はこのあたりで終了させて頂きますが、読者の皆さんにはラフティーさんが亜甲さんに何を期待されているのか、理解して頂けたと思います。次回はラフティーさんの経歴、ラフティーさん自身についてお伺いしたいと思います。

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アルキス・ラフティーさんと亜甲絵里香さん

セーヌ 1999年 夏 第34号掲載

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