Ruxandra Racovitzaさんへの
インタビュー(後編)

インタビュアーIrene Grevet(イレーヌ・グレーブ)

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―― 貴方はフランスで現代舞踊を教えていますが、現代舞踊とは何ですか?

リュクサンドラ・ラコヴィツア(以下R.R): それは生命の踊りです。人生から着想を得ています。そのダンスは、世の中に存在する人間関係を動きに置き換えて表現するのです。しかし、何でも良いというわけではありません。現代舞踊は毎日創り出される言語と同じで、それはとても自由で、気取らず、型にもはまらず、つつましくもあり、他とは比較にならない程エネルギッシュなものです。

現代舞踊では何の柵もなく、年令も気にする必要はありません。何の制限もなく、それは身体と個人の解放です。もちろん技術は重要で苛酷ですが、それは永続的に発展し、自らの身体の限界を知りながら、それだけに閉じこめられず、それがどの空間にあるかよく心得ながら全てを取り込み、それを越えるのです。

現代舞踊において、技術は思想を表現する手段にすぎません。思想を持たない動きは技術のみで、抽象的で意味のないものになってしまいます。

それは永久に探求した踊りの中で生きています。そして自分の真の姿を見い出し、自分を取り戻し、そこからまた一新されるのです。

―― 1997年に、日本の亜甲絵里香さんの学校へstageをしにいらっしゃいますが、どのように日本を知ったのですか?どなたかお知り合いのご紹介があったのですか?

R.R: 私は校長、そして後援者達のおかげで2度程日本へ行きました。
ドレスメーカーとして有名なピエール・カルダン氏が、カシュレアヌ・カンパニイを見い出して、長い間彼の劇場で公演させてくれました。最初に日本へ行ったのは、ピエール・カルダンの店のオープニングの時で、カンパニイを招待してくれました。そして2度目の時は、モスクワのプリマダンサー、マヤ・プリセツカヤと一緒に行きました。

私は公演時は忙しく、なかなか知り合いを作る機会はありませんでしたが、とても熱心で、率直で、そして感受性豊かな観客を観察することが出来ました。たくさんのプロデューサー達が私達の仕事に感銘を受け、会いに来てくれました。そこでLangage Contemporain(現代舞踊言語=表現)に感動と興味を持っている亜甲絵里香さんと知り合ったのです。

―― 日本についてどう思われますか?

R.R: 日本は強い文化の印された跡があり、私達がよく理解するにはとても難しいです。私は人物が変化する「能」に魅了されました。特に細やかなものにこだわり、時間をかけて準備をし、自分の内部から外部へと表現したり、役者の集中力などの能力には強く感動しました。

各々の役者は、良好な"状態"に自分を持って行く時間を取ります。そして重要な要素を織り込んで、演じる人物の中に入って行きます。衣装、音楽、メーキャップ。これらの準備は私のやっていることと、とてもよく似ているのです。私は衣装なしではリハーサルはしません。

日本人は独特な優雅さを持っています。それらは芸術の中にも表れています。特に生け花はそのものです。彼らは雰囲気と沈黙の感覚(センス)を持っています。

私は日本人の完全な仕事ぶりに感動しました。私達のリハーサルの時と公演中に、彼らにまかせている音響や照明などの支度にとても心配でしたが、魔法の瞬間が来て見ると、全てが完璧に仕上がってました。

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―― 瀬川寛一さんをご覧になってどう思われましたか?

R.R: レンヌ国立学校(Conservatoire National de Rennes)で、最初寛一はとても大変だったでしょう。彼はとても根気強く勉強していました。彼は新しい学校だけでなく、新しい技術や、フランスの生活様式にまず順応して行かなければならなかったでしょう。彼と同じ年令の若者達はすぐに彼を受け入れました。

彼は日本で現代舞踊を勉強してきたと思っていましたが、私達のものとは違っていた様で、彼は新たに鍛えなければならなかったのです。彼は非常に上達をして、ブゥローニュ国立学校(Conservatoire National de Boulogne)で金賞を受賞しました。それは想像を絶する程の彼の努力の結果です。彼は今DE(diplome d' etat=教師になるための国家資格)の学校で勉強しています。

私は今まで、彼にいろいろな技術を教えて来ましたし、これからもずっと教えて行きたいと思っていますが、それを彼がこれからどの様に彼の能力と才能を使って躍りで表現して行くか、そして抜き出ることが出来るかは彼次第です。

-パリ 1995年12月19日-

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