神戸出身。高田せい子、余芳美、今岡頌子、アラン・ダベンヌ等に師事。 特に日本現代舞踊の育ての親、故高田せい子の最後の弟子として、舞踊芸術だけでなく人間的にも多大な影響を受けている。
 大阪芸大を経て、東京の「ミス渋谷」に選出される。 結婚、そして離婚。2年間の裁判の末引き取り、以来15年間独力で育て上げた3人の子供達も母親と同じ道を順調に歩んでいる。
 演劇女優として数々の舞台に立った時期もあり、自身の体験を基に、人生を肉体を通して美しくドラマティックに表現する、独自の作品を創作してきた。
 ヨガ、気功、太極拳等を勉強し、数年前から「自然のエネルギーとの一体」を試みてきた。
 96年に上演した芥川龍之介の「薮の中」で「氣の表出」による表現法に挑戦。以後創作の呼称を「テアトル・ムーヴマン=劇的舞い」とした。
 97年初演の「原爆の図」では、10分以上も一カ所に立ち尽くしたままの微妙な表現と、被災者の心を迫真の演技で体現し、東京の小劇場ジアン・ジアンの狭い空間と、ギリシャ・アテネの野外劇場ドラ・ストラトウでは正反対の無限の空間で、国籍も全く異なる観客に共通の大きな感動を与えた。
 ドラ・ストラトウ・テアトルのプレジデント、アルキス・ラフティス氏、アルキス氏を紹介してくれたイサドラ・ダンカンの弟子の一人リサ・ダンカンの弟子だったマドリーヌ・リトン女史、パリ・サロン・ドゥ・ラ・ダンスのセクレター・ジェネラルのジョセリーヌ・ムニエ女史、舞踊家のジジ・カシュレアヌ、アルビン・エイリー舞踊団、ロシア国立・ノボシビルスクバレエ団の関係者等、その美しくドラマティックな舞踊芸術を高く評価する人は多く、国際的に広範な交流をし、03年には日本人としては初めてロシア国立バレエ団に作品「オルフェウス」を振り付けた。
 常に前進向上の精神と、愛と美への心と情熱を失わず、生徒達には技術はもとより、精神的にも大きな成長を与え、単に舞踊だけでなく人間的にも大きな指導力を発揮している。




詳しい経歴

テアトル・
ムーヴマンとは?


教育法




私の芸術について
 私の芸術の基本は、「真」「善」「美」「愛」「希望」「平和」そして「何故」。 今日までの創作活動と後進の指導でも、一貫してこの考えは変わりません。
元々私は舞踊家になる前は舞台女優でした。 ですから私の舞踊の振りは抽象的な動きではなく、具象的で、それを美しくドラマティックに 表現します。
「東洋と西洋、日舞と洋舞、舞踊と演劇、全ての枠を越えて舞う」 世界中の誰にも理解され、感動を与えられる舞踊。それが私の理想です。
今までの私の作品、「花の詩」「Le Rayon Celeste」「Noir et Blanche」等は、 全て私自身の人生からドラマを創作してきました。そして自分の踊りを「劇的な舞踊」として 「テアトルバレエ」と名付け、創作活動を続けて来ました。
しかし、数年前から私が重視するようになったのは、「氣」の発現による表現法です。 テクニックや形だけではないもっと深い物。それでいて広い階層の誰にでも伝わり、感動を与える ことの出来る、私独自の表現法を確立したい。 それには「氣の発現」しかないと考えたのです。
「温かい氣」「冷たい氣」「喜びの氣」「怒りの氣」「悲しみの氣」その他全ての「氣」を自由に 操ることが出来れば、世界中のあらゆる人達に理解され、感動を与えることが出来るでしょう。 クラシックバレエではない。モダンダンスでもない。舞踏でもなく。演劇でもない。そして全ての芸術的要素 を合わせ持つ私独自の表現法を、今創り上げつつあります。 この表現法を追求して行くには「テアトルバレエ」という名称がそぐわないものになり、私の考えに相応しい 名称として「テアトル・ムーヴマン=劇的舞い」と名付けることにしました。